2008-02-21 Thu
手元供養店のウェブ店長をしていて最近気付いたのですが、手元供養をされる方の年齢が若くなっているような気がしています。
(30代の方のお客様が増えています。)
しかしなぜ??
・若い人の方が柔軟に物事をうけいれられるから?
・インターネットを情報源としているから?
・高価なお仏壇などに手がでないから?
はてな?だらけですが、僕としてはいい傾向だと思います。
よく売れるからではありません。(もちろんありがたいです!)
それは年代や性別にかかわりなく、
愛する人を偲ぶことができるようになってきた証拠だからです。
「嫁いだ娘さんが母親の供養をしたっていいじゃない!」
「末っ子の僕が親を身近で偲んだっていいじゃんか!」
博國屋は、あなたの“愛する人を供養したい想い”を応援しています!!
若い方にも受け入れやすいように、ペンダントタイプの手元供養品も取り揃えました。↓↓
誕生石入りメモリアルペンダント 【セピアserise】チタン製

ちなみに光り物の撮影は苦労します。
正面から撮ると、カメラと自分が写ってしまいます。(^^;
斜めから撮ると、周りの物が写ってしまいます。(^^;
ですので、どう撮っているかと言いますと、
基本は斜めから狙い、商品に写りこむところに白い紙を立てて
写っても真っ白になるようにするんです。
で、最後にフォトショップ(画像加工ソフト)で修正!!
ちなみにこちらは手抜き写真。手とカメラが写りこんでいます。
これではいつまで経っても売れないでしょう。笑

はて、写真は真実を撮るといいますが、
反射するものの真の姿って何なんでしょうかね。
輝きを失えば形はわかるけど反射しない。
反射するからこそ輝く存在でいられるわけだし・・・。
大阪ミナミで坊主バーをされている僧侶の清さんの講演でのお話を思い出します。
(2,3年前のことでうろ覚えなので僕の記憶の解釈で記します。)
お葬式で、家族葬だからとせっかく来てくれた弔問客をことわることに対しての話でした。
“私”の存在とは“私”の周りにいる家族や友人、出会った人など全ての関係性によって出来上がった存在である。なので“私”の葬式で、“私”を構成してくれた友人や知人の弔問客を断ることはおかしいんじゃないか。
“私”の死は、“私”に関係したみんなのものである。“私の死”を共有するのが葬儀という儀式の意味。周りの者も別れをしたいんだよ。といったお話でした。
僕はこの話に感銘を受けました。
僕が僕として存在するためにも遠慮なく周りに関係していこうと思ったものです。(僕の遠慮ない厚かましい性格を後押ししてくれました!笑)
ブログをご覧いただいたあなた!
どうぞお気軽に“私”に手元供養のことで関係してきてください。
なぜならそれがあなたにとっての僕の存在意味だから!!
店長の生息エリアはこちらです。
京都 博國屋 =====================================
〒601-8392 京都市南区吉祥院内河原町3京都陶芸工房103
TEL: 075-315-3370 FAX: 075-315-3005
■博國屋ホームページ
http://www.hirokuniya.com/
■E-mail shusuke@hirokuniya.com 山崎周亮
===================================================


